1904年9月26日、狭心症のために亡くなる。小泉八雲 - Wikipedia: "小泉 八雲(こいずみ やくも、 1850年6月27日 - 1904年9月26日)は、新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家。"
小泉八雲といえば、松江の記念館が有名。まるで松江の郷土の名士みたな扱いだが、小泉八雲が松江にいたのは一年ちょっとにしかすぎない。1890年8月に松江に赴任、年末小泉セツと結婚、翌年の11月には熊本第五高等学校に転任している。松江の冬があまりにも寒く、日本家屋は耐寒構造になっていないので小泉は寒さに辛抱できず、とにかく暖かいところに引っ越したいと言ったそうだ。
1896年からは死ぬまで東京で暮らしている。余丁町に隣接する市谷富久町にずっと住んだが、隣のお寺(瘤寺)の木が勝手に切り倒されたことに腹を立てて大久保二丁目に引っ越し、そこでその年に亡くなった。お墓は雑司ヶ谷にある。
クレオール料理の研究家としても知られる。これは知らなかったでしょう。
論より証拠:
ラフカディオ・ハーン 没後100年、ハーンとクレオール文化
日本じゃクレオール料理は食えなかった(だろうと思う)。自分で作ろうにも、外国食材は簡単には輸入できなかった。晩年のハーンが妙に怒りっぽくなったのはこのせいか。食い物の恨みはこわいのである。
現在でも、検疫とかいろいろ強引な理由付けをして(実際は国内農家の保護のために)輸入禁止になっている外国食材は無数にある。スペインの最高級生ハム(ハモン・セラーノ)をおみやげに持ち込もうとして成田で没収され、怒り心頭に発した外国の若者を知っている。観光立国を考えるなら、こんなことから直していかねばならないのではないか。
2 件のコメント:
昨年の夏8月に熊本の旧小泉八雲居を訪れました。拙ブログに写真が二枚ありますのでご参考までにアドレスを記しておきます。
http://homepage.mac.com/okobay/t/archives/2007/08/entry_1065.html
iBlogger 健在! お久しぶりです。小泉八雲の熊本の家をはじめてみました。松江の家に酷似していることに驚きました。彼の趣味なのか当時の住宅環境なのかは分かりませんが、とにかく興味深かったです。ドイツからのお便りを楽しみにしてます。
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